これはペンです 円城塔著 新潮社
「叔父は文字だ。文字通り。」という文章でこの物語は始まります。僕にも姪っ子がいるのですが、こんなことを言われると正直困ります。この文章は不合理です。
ところが主人公と叔父についてのこの物語を読み進むうち、冒頭の不合理な文章が、もしかしたらもっともこの叔父について合理的に説明している文章であるような気がしてくるのです。叔父が何者なのか、という彼の存在についての最も合理的な説明は、叔父は文字である、というしかなくなってしまう。
なぜそのようなことになるのか。それは僕たちが「言葉」を使うことによってしか考えることができない、逆に言えば、考える、ということは言葉を使って、その言葉を「文章」という法則に当てはめることだからです。
僕たちは「言葉」を使うことによってしか考えることができない。たとえば僕は今「これはペンです」という物語の感想をこうして書いているけれど、それはこの物語について考えたことを書いている。考えたことを絵に描くこともできるかもしれないけれど、それはたぶん人には伝わらないし、それは「感じた」ことであって「考えた」ことではなくなってしまうのです。
考える、ということがすなわち「言葉」である以上、それは「文章」という法則に縛られてしまう。つまり「叔父は文字だ」とはいえなくなってしまうのです。
しかし叔父は言います。
「わたしたちはあまりにも簡単に出鱈目を書けてしまうと思わないかね」と。
「文章」が法則である以上、逆に言えばどんな意味のない「言葉」でも、法則にのっとっていればそれはある種の意味を持つことができる。でも、何も考えなくても、「文章」は書けるのに、必死に考えた言葉は、法則にのっとらなければ「文章」にすることができない。
ならば僕たちが「考える」ということは、いったい何なのでしょう。
そもそも僕たちは、当たり前のことについていちいち考えたりはしません。ふと立ち止まって考えるのは、目の前に不合理な何かがあるときです。そのとき、僕の頭の中ではたくさんの「言葉」があふれ出し、それがきちんと「文章」という法則にのっとるようにしようとする。
そうしてきちんと文章になった言葉は、なぜか、僕が立ち止まって考えたあの不合理な何かではすでになくなってしまっているのです。文章にしたとたん、こう思うのです。
「いや、そんなことが言いたいわけじゃなかったんだ」
「言葉」があるからこそ、僕たちはものを考えることができる。ところが、僕たちが考えたことは、本当は決して「言葉」にできない。
でも、もしかしたらそういう「言葉」にできないものをこそ、「言葉」にする必要があるのかもしれません。不合理な事象を、その不合理さを残したまま、「文章」という法則に当てはめようとすること、それが文学なのかもしれない。
何を言いたいのかわからなくなってきました。そういうものです。こんなことが言いたいわけじゃなかったのです。でも、だからといって本当に言いたかったことを書くのは多分無理です。それに、ここまで書いてきた文章も、やっぱり言いたかった何かではあるのです。
これはペンです 円城塔著 新潮社




「不思議な羅針盤」 梨木香歩著 文化出版局
「不思議な羅針盤」というのは、この本の編集者の方の考えたタイトルだそうです。
羅針盤の針がなぜいつも同じ方向を向くのか、それは科学で説明することができます。でも、もしも今手の中にある羅針盤が「不思議」な羅針盤だったら?
それはどんな羅針盤なのでしょう? それは科学的に正しい方向を指さない羅針盤なのかもしれない。もしくは、決して正しい方向を指さないのに、科学的に説明できてしまう羅針盤なのかもしれない。
僕たちはみんな、大海原の一隻の船なのかもしれません。そして羅針盤を手に、どの方向に行けばいいのか悩んでいる。
もちろんみんな正しい羅針盤を使いたいはず。でも、科学的に正しい方角が本当に「正しい」方角なのか、わからなくなっている人も多いのではないでしょうか。
科学の発展はもちろん大事。でも、それが必ずしも将来の幸福につながるとは思えない。科学の発達で失われてしまったものに、何か大切なものがあったような気がするのです。
欲張りかもしれないけれど、僕はきっとどちらも求めているのだと思います。科学は大事、でも、科学で説明できないことだって大事なのです。
だから梨木さんと同じように、僕たちも羅針盤を求めている。それは羅針盤であってほしいけど、「不思議」な羅針盤であってほしい。
例えば庭やベランダで草木を育てる。そのとき頼りにするのはもちろん科学的な知識です。どのような堆肥を使おうか、どの間隔で水をやればよいのか。でも、水をやるときには声をかけながら水をやる方が、なんだかより幸福であると思います。その行為に科学的根拠があろうとなかろうと。
科学に限らず、いろいろな合理性に対して、そんな姿勢でいられたらいいなと思います。
「不思議な羅針盤」 梨木香歩著 文化出版局
